「こんな夜更けにバナナかよ 」(渡辺一史・著/文春文庫・刊)
壮絶である。
546ページ、けっこう厚いこの本を読んだあと、
自分の気持ちが整理できないでいる。心がカオスになってしまった。
この本は、筋ジストロフィー患者・鹿野靖明氏と、
亡くなるまでに関わった多くのボランティアの人たちとの、
24時間自立生活の一部始終をつづったノンフィクションだ。
鹿野氏のように、すべてをさらけ出して生きるのは私には無理だし、
真似したいとも正直思わないのだが、
まことに人間としてうらやましい生き方なのだ。
そんな矛盾した感情がふつふつと湧いてしまう。
鹿野氏は、「とにかく思うままに生きたい。」という信念の人だ。
もちろん障害をもちながら思うままに生きるのは容易ではない。
ずっと、人に頼ることを苦手としてきた私にとって、
鹿野氏の「ワガママ」ぶりは畏敬といってもいいほどの衝撃だった。
全身が動かなくなる筋委縮性の疾患を生きぬいてきた患者さんの
ブログや本を読んでいると、
多かれ少なかれ、「開き直り」や「図々しさ」や「ふてぶてしさ」がないと、
生きていけない病気であることはうっすら感じていた。
なにせ、誰かに頼まないと寝返りすらうてないのだ。
だけど、鹿野氏のそれは、ふてぶてしいなどというレベルではない。
たとえるなら、芸術家に近い存在。
「障害を持って生きる」という芸術表現のために、
私生活も人間関係もすべてを丸裸にしてしまう、そんな感じ。
健常者ならば誰もついていけなかったかもしれない。
でも芸術家の彼には、多くの人間が惹き寄せられてしまう。
同じ障害者でも、本人の目指す生き方は全く真逆なのだが、
「潜水服は蝶の夢を見る」という映画に出てきた主人公も信念の人だった。
自分の生き方は自分で決める。
決めたら、実行する。
死ぬ瞬間に、「よーやった!」って思えたら、それを尊厳死というのかも。
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