病気を告知されてから、いろんな患者さんのブログを読んだ。
将来に起きるであろう事態への不安を、せめて「想定内」にしたい一心から読んでいた。
その中で、とても印象に残っている言葉がある。
西村さんという患者さんの講演記録の中で語られた、「小さな死」という言葉だ。
実際には、西村さん自身の言葉ではなく、ある社会学者の言葉らしい。
日々の生活の中であきらめていく小さな喪失体験のことを、「小さな死」と命名した。
なぜ思い出したのかというと、私にも今日また、「小さな死」があったから。
今朝、台風の中仕事に行こうとしたとき、
「壊れてもいいように、ビニール傘にしよう。」と開こうとしたら、開けない。
傘を開くのは意外に力がいるのだ。
いつの間にか右手でも、開けなくなってしまったらしい。
「しょうがない。折り畳み傘で行こう。」
駅に着いた。今度は閉じることができない。
焦る。見た目は全くの健常者の私には、「閉じてください。」と頼みにくい。
しばらくトライして、やっと閉じることができた。
家の鍵も左手ではもう回せない。
右手で回せなくなったら家に入れないのだろうか。
足が動かないよりも、手が使えない不便は大きいように思う。
ラーメン食べられない時と同じく、
開きやすい傘を買えばいい。…だけなんだけれど、
予想していないことに遭遇すると、意外と凹むのです。。。弱っちいな私。
※下記は「小さな死」について語られた部分の引用です。
西村さんの素晴らしい講演内容は、下記HPリンクに全文掲載されています。
講演 「いのちを輝かして」 西村隆さん、西村雅代さん
(下記引用:日本ALS協会近畿ブロックのHP掲載の講演記録より)
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身体の中の微妙な変化は どんなに近くにいる、家族にも分からないほど小さなものなのですが、私にはその一つ一つが心を痛める大事件です。
どんどん萎縮する肉体、発病して五、六年は毎日、自分の身体をにらみつけては、変化を探しました。65kgあった体重がアッという間に40kg台に減りました。
そして出来ていたこと、昨日まで当たり前にできていたことを次々にあきらめていきます。
○月×日ペンがもてない。さらばペンよ。
○月×日お箸が使えなくなる。
○月×日エンジンキーが回せない。運転をあきらめる。
毎日書いていたパソコンの日記には出来なくなったことが短く書いてあります。
繰り返される喪失体験がALSの特徴です。ある社会学者はこの喪失体験のことを「小さな死」と定義しています。まさに実感です。
それは自分が崩れていく、価値が無くなる体験でした。
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