2014/12/06

尊厳死というオプション

これまでずっと、「尊厳死」というネーミングはともかくとして、
「呼吸器を外せる」というオプションは法的に担保するべきだと思ってきた。

けれど、今回の難病新法をめぐる
厚生省と患者(団体)、医療関係者のやりとりを見ているうちに、
少し考えが変わってきている。

どう変わってきたのかといえば。。。

家族関係や経済面に問題のある患者に、
「呼吸器をつけてしまって大丈夫なのか。」という判断は、
同時に人の命を左右する決断でもあるので、
おそらく医師にとって、かなりの負担であるように思う。

そのため、呼吸器を外せるという法律ができてしまうと、
「外せるんだから、とりあえずつけておきましょうよ。つけなければ死ぬんですよ。」
というイージーな状況になることは想像に難くない。

だが、一旦つけたものを外すのは、つけないという判断より、
制度的にも心理的にも、難しい。

結果、人口呼吸器をつける患者はどんどん増えたとしたら、
今回の難病新法のような問題が発生するのではないだろうか。

呼吸器をつけた在宅患者1人を支えるには、
ALSの場合、月額100万円くらいかかると言われている。(※国の負担として)
さらに何千人か増えたとして、もし予算全体が変わらなければ、
一人あたりの助成を減らそうとするに違いない。
今回の難病新法で、対象となる疾病が増える代わりに、患者負担が増えたのと同じく。

トータルとして、患者とその家族の負担は、現在より重くなってしまうかもしれない。
経済的な理由で、呼吸器を外す決断をするのは、相当につらいものになると思う。

難病新法だけでなく、来年は改正介護保険法も施行される。
予防訪問介護・通所介護サービスは、各市町村事業に移管される。
制度はそのまま継続されるという建前だが、大きな違いがあって、
いままでは国としての義務的経費だったものが、市町村の裁量的経費となる。
そうなると、年度内の予算オーバーを理由に、各市町村の都合で、
突然給付を制限されてしまう事態もありえる。
住んでいる市町村によりかなりの不公平が起きることになるだろうと、
介護関係者からは憂慮されている。

尊厳死のオプションができても、生きるためのオプションが減らされるなら、
金の切れ目が命の切れ目になってしまう。

経済的に不安なので呼吸器を外してください。…と言うのは、
経済的に不安なので呼吸器はつけません。…と言うより、家族の心に傷が残る気がする。


追記)---------------------

これを書いた後にふと思ったことを追記。

尊厳死反対の立場の方々が、目標とされている下記の2点は、
尊厳死法の制定によって成し遂げられるかもしれない。

「呼吸器を標準的な治療とする。」
(つまり選択しなくても呼吸器をつけることがデフォルトで、その上で拒否できるようにする。)

「もっと多くの患者が呼吸器をつけられるようにしたい。」

呼吸器を外せるようになれば、医療者は悩まなくていい。
むしろ躊躇する家族に「つけなければ死ぬんですよ!」と説得する。
おそらく、いま起きている胃ろう問題のように。

これは矛盾だけれど、たぶんそうなると思う。

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