2014/08/30

「宇宙兄弟」(ALS編)の率直な感想。

「宇宙兄弟」(231話・232話)は、シャロンの病気としてALSが描かれている。

「宇宙兄弟」は実はほとんど読んだことがないのだが、
登場する患者さんのモデルがALS界?では有名な方なので、
患者メーリスでもお知らせがあり、その2号だけ購入して読んでみた。

たとえ自由にしゃべることができなくても、
患者の脳の機能(知性)が活発なことを表すのに、
しりとりを使うのは面白いアイデアだと思った。
また、シャロンがムッタへのアドバイスをする回顧シーンも良かった。

でも、その後はなんとなく患者会サイドの要望通りの内容を描きおこした印象を受ける。

ムッタの生きてて欲しいという言葉で、シャロンは呼吸器をつける決心をする。
正直な感想としては、こういううすっぺらい美談としてではなく、
もう少し心の葛藤の過程を描いてほしかった。

眼鏡のように呼吸器をつけるというのは、
良く患者さんから発せられる言葉だけれど、眼鏡は外せるのだ。
呼吸器と同じではない。
私のように眼鏡が嫌でレーシックを受ける者もいる。
オプションがあるということだ。呼吸器にはそれがない。

せりかのお父さんがALSで亡くなっているのなら、
例えば呼吸器を拒否する選択をしたことにして、2つの患者の生き方を描くことで、
動けない身体で生き続けることを拒否することについてどう思うのかとか、
呼吸器をめぐる日本の現状について、
若い読者にも考えてもらうような内容が良かったな。
人気マンガということなので残念。。。

または、宇宙という未知の領域に挑む科学者として、
生きる意味を考えるなんて宇宙では意味がないと言い切って呼吸器をつけるとか、
社会にも貢献できず、素敵な家族もおらず、
生きる意味を見つけられない患者さんにも勇気を与えるかも。

でも、ALSへの理解が深まるのは大切なこと。
感想は率直に書いてしまいましたが、
多くのファンを持つ「宇宙兄弟」で描いてくれたことに深く感謝しています。

2014/08/29

赤レンガテラスオープン!@札幌

今日は友人とオープンしたばかりの新三井ビル「赤レンガテラス」へ。

















目的は3階のフードコートですが、まずは新しい三井ビルを見学。
吹き抜けで東京でも最近よく見かけるタイプの建築ではあります。



表はテーブルが並んで、素敵なガーデンテラスになっています。
快晴で気持ちの良い空の下くつろぐ人でにぎわっていました。



2階奥にカフェスタンドとフリースペースがあり、
外を見ながらお茶が楽しめます。ここは穴場かも?!



5階の展望サロンからは、道庁が切り取った絵のように眺められます。



ランチは、3階の「布袋」で念願のザンギ定食を。ウマウマです♪
ザンギが重すぎて箸が持ち上がりません!

1時間ほど並びましたが、おなか大満足でした。

2014/08/28

TDP-43でつながる?

パーキンソン病の父の性格があまりにも以前と変わってきたので、
色々調べてみたところ、「前頭側頭型認知症」という症状に酷似!

【前頭側頭型認知症】

・着るものや身だしなみに無頓着になり不潔でも平気でいる。
・毎日同じものを食べ続ける。
・人に対して、馬鹿にしたり、無視したりする。
・同じ言葉や行動を繰り返す。
・おちつきがなくなる。
・自発的な会話がすくなくなる。
・すぐに興奮状態になりやすく、暴力をふるったりする。
・悪気なく、他人のものをとったり食べたりする。

▼引用元: 「認知症ラボ」
http://www.ninchishoucare.com/kind/frontallobe/

一番最後の症状以外はすべて当てはまるではないか。
おやおや…と思って調べていたら、
なんと病因の1つに、TDP43タンパクの凝集とある。

あれ?これってALSの発症原因の1つでは???

もしTDP43タンパクが凝集しやすい遺伝子があるとすれば、
それが父から遺伝した結果の発病ということもあるのだろうか?

仮に私のALSのタイプが、TDP43タンパクが原因だとすれば、
米国でTDP-43のオートファジーを活性化させる薬剤が見つかったという
ニュースもあったし、福音といえなくもない。

▼引用元: 「ALS(筋萎縮性側索硬化症)に負けないで」
・オートファジーはALS細胞モデルを変異たんぱく質から保護できるか?
http://alexkazu.blog112.fc2.com/blog-entry-403.html

TDP43が原因のALSが必ずしも認知症になると、決まったわけではないけれど、
ただ、認知症リスクが高くなるのは嫌だなぁ。
(…その前に父の心配をするべきですかね。)

2014/08/26

意思伝達装置のおすすめありますか?

父の発声が最近意味不明になり、
いよいよコミュニケーションがあやしくなってきたので、
区役所に意思伝達装置の補助について確認に行った。

父の病気、パーキンソン病は、
私の病気(ALS)と同じく発話障害などもあるらしく、
幸か不幸か?私より一歩先んじているので、
集めた情報はいつか自分にも応用できそうである。
(…と、この際ポジティヴに考えることとする。)

事情を説明して購入について補助が受けられるのか確認すると、
どうやら父の状態では、補助が受けられるか微妙との説明だった。

父は、障害者手帳は2級なのだが、
まだ症状の軽い2年前に取得した身体障害者手帳なので、
現状には合っておらず、上肢6級、下肢2級、体幹3級の合わせ技のため、
上肢の認定が不十分な可能性があるらしい。

・特定疾患はパーキンソン病(※クラス3/医療助成対象)
・介護認定は要支援
・身体障害者2級

保険、障害者手帳、難病支援のどれかで、
意思伝達装置の補助ができるか詳しい部署に確認して、
折り返し電話をもらうことになった。

装置は、「レッツチャット」を検討中と伝える。

でも良く考えると、震える手で使いこなせるかちょっと不安。
パソコンが使えるから大丈夫だとは思っていたけど…。

「トーキングエイド」も良さそうではあるが、
怒ると杖でたたいたり扱いが乱暴なので、
iPadはあっという間に割ってしまいそうで無理っぽい。

自分の時は、トーキングエイド(iPad)、オペナビ(PC)併用にしようかと思っている。
アプリなら安いし、認定が間に合わなくても自分で買えそうなお手頃価格。
オペナビは使い方はやや難しいが、拡張性は良さそう。

お年寄りにも使いやすい意思伝達装置、どれがいいんでしょうね???

2014/08/17

苦手な食べもの。

お盆は札幌に帰省中。

普段食べやすいものを無意識に選んでいたらしく、
食べづらいものが色々あることに気づいたりする。

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・お寿司 (※特に白身とイカ。)

・焼肉 (※薄切り肉、柔らかい肉はOK)

・柔らかいパン、餅類 (※上あごに張り付いてしまうと飲み込めなくてアタフタする)

・梅干し (※口の中で種が出せない)

・プチトマト (※丸ごとだと噛めない)

・茶碗なども重いと持ちづらい。箸は細いと持ちづらい。
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基本的に量が食べられるので問題ないのだが、
5月に帰省した時と比べると、やはり進行しているようだ。

いまのうちにせっせと食べておかないと。(1週間で太りましたけどね。笑)

2014/08/10

医療につける薬

医療につける薬~内田樹・鷲尾清一に聞く
(岩田健太郎著/筑摩書房刊)


臨床医である岩田健太郎氏と、哲学者二人との対談集。
タイトルに惹かれて読む。

個人的に岩田氏のコメントに共感する部分が多い。
臨床医じゃないと出てこない言葉かなと思った。

時間がないので、覚書のために印象に残った部分の引用のみで。

「僕らはずっと患者さんを診ていて、生と死はつながっているということを強く感じるんです。理屈で考えれば、僕らは生まれてこのかたずっと死に続けている。

(ES細胞における余剰胚使用をめぐる論争を受けて)
「僕がつくづく異様だと思うのは、余剰胚の研究利用については、あそこまで厳密かつ精密な議論をしているのにもかかわらず、人口中絶で亡くなった胎児の研究利用についてはほとんど野放しにしているということです。」

「ALSにおける人口呼吸器は、いわば「杖」とじか「眼鏡」の延長線上にあると僕は思います。「いわゆる」延命を目的としているというより、支えている「杖」のイメージです。「人口呼吸器か否か」というのは手段と目的の顛倒です。大事なのは「なんのために人工呼吸器を使うのか」です。もはや延命を望まない患者に、人工呼吸器がたまたまついてしまう。患者も家族も、そして医療側もそれを外したら良いと思っているのに、司法の心ない決まりがそれを許しません。人口呼吸器をばんばん外せなんて主張じゃないんです。そういう選択肢がまったくないということが問題なんです。(中略)医療の世界は多様で個別的であり、その個別性に寄り添うためには、選択肢がゼロ、例外は認めない、というアプローチはあまりよくないんです。」

小指がひとりぼっち

いつのまにか、小指と薬指がくっつかなくなっていた。

これも運動ニューロン病の症状にあたるのだろか?

ネットで調べたら小指離れは脊髄症の症状とあったけれど、
脊髄症の症状(しびれ、膀胱直腸障害)は全くないので、
脊髄症になってしまったということではなさそう。

親指の付け根もだいぶへっこんできたし、
小指側の側面もふくらみがなくなってきている。
手のひらは占い師に絶賛された金星丘が見る影なし。
これは下位ニューロン障害の症状っぽい。

もうミスター・スポックと挨拶できないなぁ。


2014/08/08

1リットルの涙に涙。

15歳で脊髄小脳変性症を患った少女のドラマ、「1リットルの涙」。

脊髄小脳変性症は、運動ニューロン病と似たような症状を引き起こす病気なので、
参考のため、再放送を見てみることにした。

ある程度人生の旬は味わった40代後半の私ですら相当ショックだったのに、
ティーンエイジャーでの発病は相当に辛いと思う。

どうやら病気のドラマや本を見ることで、
脳が過去に経験したと勘違いするのか、自分の病気に耐性がつく気がする。

耐性がつくというのは、何か身体に不具合が出てきたときに、
ショックを受ける度合が減るということ。

ほんの少しずつの進行なので、
気が付いたらできなくなっていたことが時々ある。
大きなボタンがはめられないとか、下着がつけられないとか。

その時に「しゃーない。」って思えるかどうかは経験値が必要で、
それはドラマや本で経験したことも、ショックオブザーバーとして機能してるかなと。

このドラマの少女はあまりにも心が綺麗すぎて、
だいぶくたびれた自分と重ね合わせることが難しいけれども、
「先生、わたし結婚できるかな?」という言葉は、女だけに分かる。
でも私が聞いても、「結婚できなかったのは、病気のせいじゃないから。」
と「過去形」で言われて終わりかな…。

ドラマの中だけかもしれないけれど、
医師から積極的に治療や福祉の提案があったりするのは、少しうらやましい。
札幌に住んでいる父(パーキンソン病)は、
リハビリをしなかったので、恐ろしく進行が早い。
細かい診察内容は分からないのだが、最近の通院の様子を聞く限り、
リハビリの指導はないようだ。(いわゆる3分間治療かと。)

通院できるレベルの患者が一番情報を得にくいという側面があるので、
これからは、インターネットが使えないのは致命的かもしれない。

2014/08/06

大失敗。。。

今日は大事な打ち合わせだったのだが、
病院に思っていたより時間がかかり午後に延期。本当にご迷惑をかけてしまった。

朝一だから大丈夫かと思っていたけれど、
病院はいつも混んでると思わないとダメですね。
プロ意識が足りませんでした。。。情けなや。


そういえば、たまたま下記の論文を見つけたので、
片頭痛薬をゾーミックからアマージに変えてもらいました。
どちらもトリプタン系製剤なのですが、
ゾーミックはゾルミトリプタン、アマージはナラトリプタンと、組成が異なります。

これは医師からすすめられたわけではないし、ALSに有効かも不明だけれど、
片頭痛持ちなので、どうせ片頭痛薬を飲むなら二兎を追っとくか…という感じです。

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 ナラトリプタンによるCGRP1-JNK経路の抑制はポリグルタミン鎖に関連した運動ニューロンの変性を抑制する治療法になりうると考えられる。現在,球脊髄性筋萎縮症に対しテストステロンの抑制による治療法の開発が進められており8,9),今後,ナラトリプタンの効果についても臨床試験により検証することを検討する予定である.また,CGRP1は別の運動ニューロン疾患である筋萎縮性側索硬化症の病態に関与するとの報告もあり10),球脊髄性筋萎縮症の病態との共通性について,今後,さらなる解析が必要である。

<引用元>
●ナラトリプタンはCGRP1の発現抑制を介し球脊髄性筋萎縮症を抑止する
(2012.10.19 名古屋大学大学院医学系研究科 神経内科学)
http://first.lifesciencedb.jp/archives/5885
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2014/08/05

大きすぎる損失

理研・笹井副センター長が自殺のニュースを聞いて、
あまりにも残念すぎて声を失う。。。

先日放送されたNHKのSTAP細胞騒ぎの番組で、
再生医療の研究実績だけでなく、コンサルタントとして優れた交渉力があり、
神戸医療産業都市構想も、笹井氏の力なくしては実現できなかったと、
関係者がコメントしていた。

論文のまとめ方の上手さについても他の化学者が絶賛していた。
何度も却下されたSTAP論文が笹井氏監修のもとで通ってしまったことで、
その能力が今回の事件では仇になった訳だけれど、
今はネットで簡単にコピペや改ざんができるので、
大学含め他の研究機関から出ている論文にも怪しいものがたくさんあるという。
でも検証するようなシステムが日本の科学界には全くないらしい。
今回の件をふまえ、理研主導でそういったシステムを整備するという償い方も
あったのではないだろうか。

笹井氏のような、
官僚や企業を説得できる交渉力のある化学者を失ったことは、
日本の化学界とってあまりにも大きな損失だと思う。

責められる点はたくさんあった。
もはや失った信用を取り戻すのは難しいと絶望したのかもしれない。
でも日本の再生医療の進歩のために、生きて償ってほしかったと思う。

心よりご冥福をお祈りいたします。

2014/08/04

胃ろうという選択。

胃ろうという選択、しない選択~「平穏死」から考える胃ろうの功と罪
 (長尾和宏著/セブン&アイイ出版)


「そろそろ胃ろうをつくりませんか?」
医者からサジェスチョンを受けた時にぜひお勧めしたい良書。

胃ろうを作るか作らないか。

医師へのアンケートで「あなた自身は胃ろうを選択しますか?」という問いに、
「やりたくない」という回答が93~95%だったそうだ。

対して、「家族に胃ろうをするか」という問いに対しは3割ほどがYESになるという。

自分はイヤだけど、家族にはしてほしい。
病気の家族に対して、「やるだけのことはやった。」という満足感をえるために、
本人の意思を無視して延命治療をするのは「エゴ」ではないか。と長尾先生は問う。

では、胃ろうは悪なのか?何が何でもつくらない方が良いもの?

答えはNO。長尾先生によると、
老衰や認知症末期の患者への胃ろうをめぐる選択肢は3つあるようです。

1 胃ろうをしない選択(自然死、平穏死、尊厳死)
2 「ハッピーな胃ろう」だけの選択(いずれは中止で平穏死可能)
3 「アンハッピーな胃ろう」になっても最後まで選択

1は、本人の意思とともに、病状が終末期の場合、
過度な栄養注入は苦痛を伴い、延命効果も得られないということから胃ろうをしない。

2は、救急治療あるいは、経口摂取が可能になるまでのつなぎとしての胃ろう。
あるいは経口と胃ろうの併用で、健康な生活を続けるための胃ろう。
同時に嚥下リハビリなどを行ってなるべく口から食べられるようにすることが前提。
「ハッピーな胃ろう」なのにもかかわらず、家族の間違った思い込みで、
胃ろうをせずに亡くなってしまうケースもあるという。
ALSなどの難病患者の場合の福祉用具としての胃ろう造設もこれに含まれる。

3は、患者にとっては苦痛以外のなにものでもないのだが、
胃ろうを中止することが殺人であると信じる家族と医師によって、続けられてしまう胃ろう。

「延命措置」としての胃ろうと、
「救急措置」「福祉用具」としての胃ろうは異なる視点で語られなければならない。

「尊厳死」と「安楽死」の問題、延命措置の「不開始」と「中止」の問題もそうだけれど、
本来は分けて語られるべきものが、ごっちゃにされて議論にならないのは残念なことだ。

また、国民皆保険の日本では「延命する権利」は担保されているが、
「延命しない権利」は法的に担保されていない。
患者本人の意思は、リビングウィルの表明があったとしても、
意識が無くなった場合無視されてしまうのが日本の現状。
お金がかからないなら、延命するのは当然でしょうという空気。
少なくとも患者本人が望んでいたことがはっきりしている場合、
「延命しない権利」を法的に担保することは重要だという長尾先生の意見に私は賛同できる。

本当はもっと踏み込んで、家族の協力を得ないと続けられない介護について、
家族の都合で延命が続けられなくなり、
「しんどいのでもう介護やめたい。」と思うことが、
本当に許されないことなのか、ちゃんと議論するべきだと思う。
認知症患者が線路に入ったら、補償を要求される世の中なのだもの。

呼吸器をつけたくても、外すことができないことでつけられない。
我慢しながら長く生きることと、短い間でも満足して死ぬことに
優劣があるのかについて、私はとても疑問に思っている。

「生き続けていれば素晴らしいことがきっとある。」というのは、
サッカーを続けていれば、転職しなければ、離婚しなければ…というのと一緒で、
続けるか続けないか、どちらを選んだ場合でも、
素晴らしいことも悲惨なことも起きえる。本人と家族以外は責任はとれない。
選べない人、迷っている人を説得するのは当然だけれど、
もう迷っていない患者に価値を押し付けることには少し違和感がある。
プロコンをきちんと説明して、自分で選ぶことを助けるまでが、
本来の医療関係者の仕事ではないのだろうか。

「尊厳死はタチの悪い宗教」という発言を見たことがあるけれど、
そういう発言はやめた方が良いと思う。
あと、「嫌なものはイヤ。」という意見も最強で最悪。
だってそれ言われたら建設的な議論にならないもの。


2014/08/03

良い医者はどんな医者?

研修医純情物語~先生と呼ばないで (川渕恵一著/幻冬舎刊)


Kindleだと、書店ではあまり手にとらない本を読むことが多い。
この本もそう。なんとなく研修医という世界を覗いてみたくて購入してみた。
あわせて同じ著者の「ふり返るなドクター」も読了。
テンポが良く読みやすい。
「ふり返るな~」は続編だと思って購入したら、
同じ設定の焼き直しといった内容だった。
個人的には、「研修医純情物語」の方が面白かった。

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引きこもりだった主人公が、30代で医師を目指し、
40代で研修医として大学病院に勤め始めるのだが、
大学病院は、理不尽なしきたりや患者を診ない医者たちの巣窟だった。
患者を診るのは研修医にまかせて、指導医は研究や論文に明け暮れている。
彼は患者と話すのが好きで、医者のあるべき姿に疑問を感じる。
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この主人公は、医者は患者の話を聞くのが仕事だと主張する。
でも大学病院なら、臨床に基づく研究も大切な部分では?という疑問もわいてくる。

さて患者にとって、良い医者とはどんな医者だろう?

知識や経験が多く、確定診断が早い医者なのか、
新しい薬や治療法を研究して将来の患者を助ける医者なのか、
臨床に重きを置いて目の前の患者の話を聞く医者なのか、

病気を見つけたり治したりする勉強はしてほしいけれど、
患者は個々違う人間なので、
仕事や家族の状況に合わせて治療を進めて欲しいのは確かだ。

その上ALSの場合は、主治医がカバーしなければならない範囲がかなり広い。

前向きに人工呼吸器をつけて生きたい患者がいる一方で、
緩和医療を希望する患者もいる。あくまで患者の意思を尊重して欲しい。
胃ろうや呼吸器をつける局面で、患者に寄り添いメンタルもサポートして欲しい。
治験などに積極的な医者であって欲しいし、
リハビリ、器具やコミュニケーション機器などのアドバイスができる医者だと心強いし、
障害者手帳などの福祉手続きに詳しいとさらに助かる。

これ全部カバーできる先生はいないだろうなぁ。
診断する先生と、治療する先生は別の先生の方が良い気がする。
逆に看取りは緩和医療専門医に送ってさようならではなく、
ずっと治療していた先生に立ち会って欲しいかな私は。
自分の元気だった頃を知っている先生に。


2014/08/01

誰にでも、介護は突然やってくる。

「心が楽になる介護のヒント」 (読売新聞生活部編/中央公論新社)


読売新聞「ケアノート」は、作家や芸能人など、
有名人の方々が介護に向き合った経験を取材したコラム。
本書は、掲載された記事をもとに52人の方々が1冊にまとめられている。

介護する側から、しかも有名人の方々なので、
美談的な話が多いのかと思ったけれど、率直に介護への思いがつづられていると感じた。

ほとんどの方が、肉親の脳梗塞や認知帳など、
突然介護しなければならない状況に直面している。

仕事の都合もあるので、当然、勘弁してほしい、正直迷惑だと思ったりもし、
周りに頼らないで頑張ってしまうと、介護する側の健康を害することもある。
「これ以上税金を使うのは申し訳ない。」と、
公的支援に頼らず自殺された清水有貴子さんの話も痛々しい。

連城三紀彦さんをはじめとした、「息子介護」をしている方々が、
介護を楽しもうとしているのが印象的だった。
女性の場合、夫の母の介護など、
本人の気の進まない介護が強制されてしまうシチュエーションも多いけれど、
男性の場合、実母を介護したいと本人が覚悟して選択した結果であることも、
大きいのかもしれない。

介護は家族以外の人にも頼った方が良いという意見も多かった。
ただ、認知証の場合など、介護される側が肉親による介護以外は拒否されるケースも多いようで、いやがおうもなく、介護する家族が消耗していくのもつらい。

余命が分かっているなら、おそらく家族介護でも良いと思う。
でも、いつ終わるともしれない長期の介護については、
職業として割り切れる人たちにお任せすることが必要なようだ。

介護される側を想像できる自分としては、
全くの他人に排泄や入浴を介助してもらうのは、屈辱的であるし、泣きたくなるけれど。

それに慣れるには、いったいいくつのハードルを越えないとならないのだろう。
慣れることができなければ、生きていけないようになる。
本当はまだ想像したくないのだけれど、少しずつ覚悟しなければ。。。