2014/03/31

iPS細胞が実用段階に?

「患者さんのみなさん、ご安心ください。」

呼吸器つけてもいいのかな…?もう一度考えよう。


▼山中先生のメッセージビデオ
http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/other/140207-220000.html

2014/03/30

ホスピスはがん患者だけのもの?

まだ気が早いのかもしれないが、
飲み込みが日々悪化していることを考えると、
呼吸器による延命について考えておいて損はないのだろう。

はっきりしているのは、
私は呼吸器につながれて生きて行きたくはない。
でも苦しまないように死なせてほしい。

ただ、その選択肢を選び、緩和ケアを受けたい場合、
ALS患者は、実際にはホスピスに入るのは難しいようだ。

●「日本ホスピス緩和ケア協会」
http://www.hpcj.org/uses/q_and_a.html

なぜかというと、日本では、
がん患者とAIDS患者にしか保険加算が適用されないので、
病院はタダ働きになってしまうから。

大勢の終末期の患者を看取った経験があるという、
大津秀一氏の「どんな病気でも後悔しない死に方」を読んだ。

氏は、がんで死ぬのは悪くない死に方だと言う。
個人差もあるし、異論もあるだろうが、確かにそうかもしれないと思った。
ALS患者を取り巻く環境は、あまりにも過酷だ。

眼球以外は動かせなくても、生きる手立てがある患者は、
生きるべく努力をするのが美徳だというなら、それは違うと思う。

いまはまだ良いアイデアが浮かばないけれど、
何も言わずにひっそりと死ぬのだけは、いけないような気がする。
せめて国に抗議くらいはしなきゃ、天国に行けない。

「前向きに死ぬ」という「生き方」も許してほしい。

2014/03/29

冗談のように病気は進む。

2014年3月29日

進行があまりにも早い。
年明けに親指の違和感を感じた左手は、
もう肩より上げるのに苦心する。
しかも腕の部分にずっとくすぐったい感じが続いていて気持ちワルイ。

今住んでいる賃貸住宅は、2階から降りる階段が急すぎて、
最近少し降りるのが怖い。

ちょうど病院の近くに新築物件があったので、見に行ってみた。

部屋はバリアフリーな仕様だったけれど、
共同入口に思いっきり階段が!!!だめだ…。

実際、いつまで階段を降りられるのだろう。

退院して2週間、こんなにあっという間に症状が進んでしまうのでは、
何を準備していいのか分からない。

誰に聞いたらいいんだろう。

2014/03/24

病気に飲み込まれたくない!

2013年3月24日

会社では、病気のことをカミングアウトしたので、
なんとなく「ふれてはいけない人。」みたいな感じ…。

むむむ、以前と同じ冗談を言っても、なんとなく笑っていけないような。
みんな笑って~!!!(…と言っても無理か。)

そういえば、自分でも自分を病気扱いしてる。

今日も網棚に荷物を載せるのに苦労して、とてつもなくブルーになったり。
やたら涙もろくなったり。

なんだよ、別にまだ動けるじゃん。

自分を憐れむのはまだ早い。これからもっともっと諦めなくちゃいけないのだ。
いまはまだ諦めてる場合じゃない。病気に飲み込まれてる場合じゃない。

悩むと考えるは違う。…って大好きな鴻上尚史さんの言葉を思い出した。

いまできることを考えるんだ。動くんだ。

2014/03/17

10%

ALSの誤診率は、10%だそうだ。
初期での誤診率は27%というデータもあるとか。

逆にALSを見逃す誤診率は44%らしい。

誤診かもしれないと期待しつつも、
足に力が入りにくくなっている。
飲み込みも少し悪くなってきている。

初期に診断がついたことはラッキーなのかもしれないが、
まだきちんと受け止められない。

1日が1ヶ月ぶんくらいの価値があるのに、
何も具体的なことができないでいる。

ブログを書くことで気持ちの整理ができると思ったけれど、
どうしても涙ばかり出る。

1年後私はどうなっているんだろう?

2014/03/13

入院(4):告知

2014年3月14日

話は前後してしまうが、入院6日目に戻ろう。

いよいよグロブリン治療も明日でおしまい。

入院生活にも、腕に刺さったままの点滴針にも慣れ、
なんとなくグロプリンのおかげで調子が良い気がしていた。

「ちょっといいかな?」

夕食が配られ出した頃、M先生が顔を見せてくれた。
外来の初診の先生なので、なんだかほっとする。

「色々検査したんだけどね、運動ニューロンの病気なのは確定だと思う。」

「他の病気だと良かったんだけど、どれも異常が全くないんだ。
しいて言えば、大腸の腫瘍マーカーがほんの少し上がっているけれど、
関係ないと思う。」

「……ALSということですか?」

「うん。世界神経学会(WFN)のEL Escorial基準というのがあってね、
ALS確実と言うには、筋心電図で3ヶ所異常が出る必要がある。
確実な神経原生異常は、まだ1ヶ所だった。」

「3ヶ所出るのは、どういう状態ですか?」

「車いすくらいにならないと、出ない。」

「まだ進行が早いか遅いかという可能性はあって、
早いと1年で車椅子…」

「遅ければ…?」

「3年で車椅子かな…。」

「あなたの場合は、飲み込みが心配だね。」

優しいけど、質問にはごまかさずはっきりと答えてくれる。
でも、寿命については、まだ怖くて質問できなかった。

「どうしたら、いいんでしょう。」

「やりたいことがあるなら、いまのうちにやった方が良いと思う。」

「別の病気の可能性はないですか?運動ニューロン病は、確実なんですか?」

「僕たちも他の病気であって欲しかったのだけれど、
若いから違うかと思っていたのだけれど、
運動ニューロンの病気なのは残念ながら間違いないと思う。」

確かに先生達は、針筋電図の後も、
夕方から病室に入れ替わり立ち替わり、追加で色々な検査をしてくれていた。

先生は顔をしかめて、
まるで先生の方が告知を受けているようにつらそうだった。

私は、病気のことはもうこれ以上聞きたくなくなくて、
ぜんぜん関係のない世間話をしだしたけれど、
M先生は、その後1時間以上もずっと私の話をきいてくれた。

なんども看護師さんが食事を下げに来たけれど、
先生はずっと横にいてくれた。

外来の時とても待ち時間がかかったけれど、
こんな風に患者の話を聞いてくれるからなんだと、思った。
いい先生に出会えて良かった。

2014/03/12

入院(3)

翌日からガンマグロブリンの点滴がはじまった。
ベニロン2500mgを1日8本×5日間投与する。
ゆっくり落とさないと、肝臓に負担がかかるそうだ。

血液製剤なので、副作用がある旨の同意書にサインをする。

色んな看護士さんが、1時間ごとに輸液の交換に来てくれる。
礼儀正しくて、優しいナースさん達と話すのは愉しい。
入院は初めてだけれど、良い病院であることはすぐに分かった。

朝10時から初めて、夕方4時に終わる。
合間に検査。意外と忙しい。

夜は、点滴の針だけ刺したまま寝るのがとても怖かったのだが、
2日目からはどうということもなくなった。
人はどんな環境にも慣れるようだ。

でも、全身が動かせない環境にも、
そのうち慣れることができるのだろうか?

いまは考えたくない。

2014/03/11

入院(2)

入院初日の夜、担当のM先生が部屋に来てくれた。

部屋には、検査で初めての先生や看護婦さんが、
入れ替わり立ち替わり来たので、
知った顔の先生を見ただけで少しほっとした。

先生は、グロブリンの治療はいったん中止だと言う。
私の症状には効かない可能性があるらしい。

事前にネットで、運動ニューロンの病気については調べていたので、
最悪の病気だとしたら、他の可能性を完全につぶさないと納得できないと思った。

「ギランバレーなら、治るかもしれないんですよね?
リスクがあってもかまわないので、
すぐにグロブリン投与をやってもらえませんか?」

先生は承諾してくれた。
効果が出るには、2週間ほどかかるらしい。
切れてしまった神経が戻るにはもっと長い時間が。

その夜は不安が少し頭をよぎって、なかなか寝られなかった。
やっぱり個室で良かったと少し思った。

2014/03/10

入院(1)

2014年3月10日、ベッドが空いたと連絡があり、
免疫グロブリン治療のため、入院した。

大きな病院なので、入院受付はとても混んでいた。
月曜日ということもあったのだろう。

重病の人の隣はしのびない…というか自分が不安になるので、
差額ベッド代は25,000円と高かったが、個室を希望していた。(さすが都内の病院だ)
実際のところは、4人部屋も空いてなかったのだが。

入院してすぐに、診察室に呼ばれた。
先生について部屋に入ると、そこにはインターン君たちがずらり。

むむむ、化粧もせず、部屋着で大勢の若者に囲まれるのは、
お姉さんには厳しいぞ(汗;

ひざをたたいたり、足の裏をこすったり、手の表面をたたいたり、
どういう反応がダメなのかは良く分からなかったけど、
インターン君たちの好奇心いっぱいな(勉強意欲に燃えるというべきか)
まなざしが恥ずかしい…。。。

「入院は、2週間を予定していますので。」

「え、5日間だと思ってたので、先生、2週間も会社休めません!」
(あと、25,000円×14日間もツライ。)

何とか1週間程度の入院で勘弁してもらえることになった。
どうやらグロブリン治療だけではないらしい…。

2014/03/03

大学病院・神経内科(2)

2014年3月1日、前回の検査の結果を聞くためにふたたび病院の外来へ。

前月の初診とは別の日に、筋電図検査(神経伝導検査)も受けていた。
どうやら末梢神経には全く異常はなかったらしい。
少し暖かくなったせいか、指の動きが良くなった気がすると伝えると、

「ギランバレー症候群かもしれません。」

ギランバレー症候群?…大原麗子で有名になった病気かな?という知識しかない。

「球麻痺、四肢の脱力などの症状が出る病気はいくつかあります。

・頸椎症
・末梢神経がおかされる病気
・免疫が原因の病気
・運動ニューロン病
・筋肉の病気
・膠原病
・ガン

前回までの検査で、治療のできる病気から探っていますが、
膠原病、ガンの可能性はないでしょう。」

「ギランバレー症候群は治療で治せます。
免疫グロブリン大量投与をやってみますか。
ただ、本来ギランバレーはこんなにゆっくりは進行しません。
どんどん神経が死んでしまうので、やるのであれば早い方が良いです。
また、薬が効いたとしても失った神経が回復するには少し時間がかかるでしょう。」

最低5日間の入院が必要とのことで、入院手続きをした。
ベッドが空き次第入院することになった。

会社になんて言おう…。
3月末に辞める人と引き継ぎをしている最中だったので、
迷惑をかけてしまうのは心苦しいけど、
でもこれで治るなら仕方ないと思うことにした。


2014/03/02

大学病院・神経内科(1)

2014年、1月頭に左手の親指に力が入らないことに気づく。

呂律が回らない、手に力が入らない…。
「すわ、脳梗塞では?!」…とちょっと大騒ぎして、
会社の近くの病院で、MRI・MRAを撮影してもらい「異常なし。」

「もしかしたら、くびに問題があるのかもしれないね。」
と言われ、心配だったので、神経内科への紹介状を描いてもらうことにした。

2月中旬に大学病院の外来の診察を受ける。
血液検査(25種類くらい)と、髄液を抜く検査!をその日に受けることに。

「麻酔するから大丈夫、ちょっと押される感じがするだけだから。」

先入観なしだったので良かったけど、
あとからググったら、痛い体験談がいっぱいでてきて、
日をあけたら絶対怖かったと思う。

先生は、私の気をそらせるため、優しく世間話をしながら、
ものすごい早業で髄液を抜き取り、(怖くて見てないけど)
5本の試験管に入った透明な液体を見せてくれた。
濁ってないのは通常は良いことらしい。

「では、結果が出るまで2週間ください。」

血液と髄液に異常がなければ、別の病気の疑いがあるとのことだった。



2014/03/01

「残念ですが、運動ニューロンの病気です。」

「残念ですが、運動ニューロンの病気です。」

40代も後半に入り、人生もう変わったことなど起きないと思っていた私に、
こんなビッグなイベントが用意されていたとは思わなかった。

手が動かない。
足が動かない。
口もきけない。
食べることも。

いつかそうなる。そんなに先のことではない。

ショックだった。寿命が短いことが気にならないほどに。